切迫早産

amafrog切迫早産の体験談まとめ

切迫早産は、実際になってみないと、中々その辛さが分かりにくいものです。ここでは、実際に切迫早産を経験した私自身の体験談をお伝えしていきます。

人によって状況や症状は異なるので、全ての内容が全ての人に当てはまるわけではありませんが、切迫早産の辛さを少しでも伝えられたら幸いです。

なお、当ブログでは、私以外の人の体験談も掲載しています。こちらも是非参考にしていただければ幸いです。

(アンケート)みんなの切迫早産体験談!まとめひとくちに切迫早産と言っても、その症状や状況は千差万別です。そこでここでは、当ブログ運営者amafrog以外の人の体験談をご紹介していき...

切迫早産の兆候の体験談

私の場合は、妊娠26週の終わりに、お腹に違和感を覚えたのが始まりです。

いつものように、近所のスーパーへ買い物に出かけた時のことでした。スーパーへは、片道だいたい40分くらいの道のりです。

到着してすぐ、お腹に違和感を覚えます。まるで生理中かのような痛みが襲ってきたのです。慌てて近くのベンチに座って休憩しました。

しばらくすると、痛みは治まったため、普通にショッピングを楽しみ、帰りはまた40分の道のりを歩きました。

今になって振返ってみると、この時の痛みは、ひどいお腹の張りが定期的に起こっている状態だったと断定できます。

しかしながらあの時は、「お腹の張り」がいったいどのようなものであるのか、全く見当もつかなかったのです。

「お腹の張り」は、妊娠するまで全く感じることのない感覚なので、当たり前かもしれません。それでも、当時の私は明らかに勉強不足で、用心が足りなかったのです。その点は、今でも激しく反省しています。

初めてお腹の違和感を自覚した翌日、朝起きてしばらくすると、またあの生理痛のような痛みが始まりました。

いよいよ不安になった私は、産院の朝の診察が始まる時間を待って、電話をかけます。状況を説明すると、「今すぐ来てください」とのことでした。

病院に到着して、エコーによる内診を行ってもらいました。

子宮頚管の長さが29mmであるとのことでした。これは、妊娠26週の終わりにしては短い値だったのです。その産院では、目安として子宮頚管長が25mmを切れば入院、ということになっていました。

一連の説明を聞き終えて私は、まだ実感があまり沸いていませんでした。先生からは、できるだけ安静にするよう指示を受け、最後に飲み薬の「リトドリン」を処方してもらいました。

ここまで来ても私は、危機感が足りていませんでした。

渡された薬をとりあえず飲んで、自分なりの「安静な」生活を送ります。外出は控えましたが、家事は普段通りにこなしていました。

日常生活で「動いている」という意識が足りなかったのだと痛感します。あの時は相当「安静に」していたつもりだったのですが、今になって振返って、全然「安静に」なんかできていなかったと断言できます。

病院を受診した翌日、大事な資格試験の日を迎えました。会場までは夫に車で送迎してもらい、普通に試験を受けました。「座っているだけだから、大丈夫だろう」と考えていたのです。

試験は無事に終わりました。しかし、お腹の痛みは毎日少しずつ、消えることなく続いていました。

夜寝る時が最も辛く、痛みで目が覚めることもありました。私は、生理痛が重い方だったので、痛みの程度に関してはあまり気になりませんでしたが、痛みが持続することを不安に感じるようになっていました。

それでも、翌日には妊婦健診を控えていたので、とりあえずそれまでは待ってみようという思いでした。

ここまで来ても私は、まだまだ考えが甘かったのだと、今になって猛反省しています。

切迫早産入院の体験談

入院中の姿勢入院中の姿勢

資格試験の次の日、私は妊婦健診で病院に行きました。

先生に診てもらうと、子宮頚管の長さは27mmになっていました。「安静にしているのに、この短期間でこの短縮は心配」ということで、先生から入院の打診がありました。

怖くなった私は、入院することにしました。決断後はあれよあれよと手続きが進み、すぐに病室へと向かいました。とりあえず必要だと思われるものについては、夫に自宅へ取りに行ってもらいました。

入院後、すぐにNSTでお腹の張りと赤ちゃんの心拍を観測します。赤ちゃんは元気でしたが、お腹の張りが約5分間隔でやや強めにあるようでした。

私は本当にお腹の張りについて鈍感だったみたいです。数値を見たスタッフの方々がとても驚いていました。

そこで急遽、リトドリンの飲み薬ではなく、点滴を開始することになりました。

点滴を開始してすぐ、お腹の張りは治まりました。動悸や手の震えという副作用には悩まされましたが、ひとまず安心して入院生活を送ります。

私は勝手ながら、始めはほんの2、3日の入院をするつもりでいました。

それが、1週間、2週間と伸びていき、「いったいいつになったら退院ができるのか」と不安に感じ始めます。お腹の張りは治まっていたため、「身体は元気なのに安静指示によって全く動けない」という心境に陥っていたのです。

先生と相談の結果、妊娠30週に入ったら、いったん点滴の流量を減らし、様子を見て31週に入ったら、点滴を抜くということになりました。

妊娠30週の点滴減量は上手くいきました。子宮頚管の長さも、30mmのところまで戻すことができていました。このまま31週には退院できそうだ、と期待で胸がいっぱいでした。

ところが、妊娠31週を迎えて点滴を抜いたとたん、お腹の張りが再開します。約5分間隔で強めの張りが6時間、治まりませんでした。

妊娠週数がまだ浅いとのことで点滴再開、それでも張りが治まらなかったため増量となりました。その後もときおりお腹の張りが観測され、先生の判断で点滴が少しずつ増量となっていきます。

最終的には、点滴は入院時の2倍の濃度となっていました。おかけで、幸い、妊娠36週を迎えることができたのです。

産院の方針で、妊娠36週に到達すれば退院、ということになっていました。そのため、前日に点滴を半減、当日の朝に点滴を抜き、午後に退院ということになりました。

切迫早産退院の体験談

NSTNST

妊娠36週で退院となった私は、家に戻った当日の晩、お腹の張り返しに悩まされます。一晩中、眠れない程の張り返しがありました。

朝になって病院に行き、NSTをつけてもらったくらいです。NSTと内診の結果、本陣痛ではないとのことで帰宅することになりました。

それ以降は、それまでのことが嘘のように、お腹の張りがパタリと消えます。私は何事もなかったかのように流れる時間の中、普段の生活リズムを取り戻すことに必死でした。

期限切れの調味料を捨てたり、部屋を片付けたり、忙しい毎日を送ります。部屋は、切迫早産入院の直前、病院に行くために家を出た時のままでした。まるでタイムスリップしたかのように、時が止まった自宅を見ると、心が痛んだのを覚えています。

切迫早産退院後の1週間は、普段の生活を取り戻すことでいっぱいいっぱいでした。入院で安静にしていたことで、身体中の筋力が衰えていたため、大変だったのを覚えています。

入院中、食べたくても食べられなかった、温かい麺類や焼き肉などを目一杯楽しむことも忘れませんでした。

このような食生活の結果、妊娠37週に入る頃には、恐ろしい程に身体が浮腫んでいました。体重は退院後から約4kg増えていて、病院から厳重注意を受けました。

その日の健診では、子宮口の開きが約1cmで、「出産はまだ先みたいですね」と言われます。「今日からどんどん動いてください」と、先生から新しい指示がありました。

私は、「もういつ陣痛が来ても産んでいいんだ」と、嬉しさ半分、なんだか奇妙な面持ちで過ごします。

あれだけ安静を求められた切迫早産入院時の生活とは、真逆の状態でした。気持ちがなかなか追いついて来なかったのを覚えています。

それでもできるだけ動くように心がけました。階段の上り下りやスクワット、軽いウォーキングなどを意識的に取り入れます。

切迫早産その後の体験談

私の場合、出産は妊娠37週2日でした。

朝、自宅で突然の破水があり、すぐに入院します。それから急に陣痛が始まって、昼には無事に出産を終えることができました。このあたりの詳細は、また別の記事にまとめるようにしています。

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まとめ

ここまで、切迫早産体験談のまとめを記載しました。私の場合、危機意識や自己管理が不十分でした。それでも、様々な人の支えがあって無事に正産期での出産ができました。周りの方々には感謝してもしきれません。是非この記事を読んで何かの参考にしていただければ幸いです。

  • 私の場合、危機意識や自己管理が不十分だった

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