切迫早産

(アンケート)みんなの切迫早産体験談!まとめ

ひとくちに切迫早産と言っても、その症状や状況は千差万別です。そこでここでは、当ブログ運営者amafrog以外の人の体験談をご紹介していきます。

それぞれ、基本的な状況、医師からの指示、辛かったことなどについてまとめているので、是非ご覧ください。

切迫早産で自宅安静の体験談

まずは、切迫早産で自宅安静となった人の体験談を順にご紹介していきます。

実家に帰省、毎日不安な日々

20代後半、妊娠33週から妊娠37週まで切迫早産になりました。出産は妊娠40週の時です。

医師からは家事不可の自宅安静の指示が出ました。リトドリンを1日3回1錠ずつ服用していました。私の場合、医師の勧めもあって、実家へ帰省しての自宅安静をすることになりました。

辛かったのは、赤ちゃんの状態が不安だったことです。初めての妊娠で喜んでいたのですが、急に切迫早産だと言われ、気が動転しました。気になってインターネットで調べてみると、ネガティブな情報ばかりが目につき、落ち込みます。

とにかく、赤ちゃんが1日でも長くお腹の中にいてほしいと、願うばかりでした。願うばかりで何もできず、1日がとても長く感じ、ますます無力な自分を呪いました。

家族の事情で辛さが増した

30代前半、妊娠33週から36週まで切迫早産と言われました。出産は妊娠38週の時です。

医師からは外出禁止、家事不可の自宅安静指示が出ました。なお、この時は既に里帰り出産のため実家に帰省済みでした。薬は、ウテメリンを1日4回1錠ずつです。

辛かったのは、切迫早産以外の家庭内事情があったことです。例えば、当時2歳の上の子の世話や遊びの相手をできませんでした。

また、先天性疾患を抱えていた姪の世話を実家の母が担っていて、家をあけることが多かったのです。これらのことと、お腹の赤ちゃんを守りたい私の想いとが合わさって、精神的に参っていました。

私は、いっそ里帰り出産などせず自宅で産むことを考えるべきだったと、後悔しました。何よりも、上の子には我慢ばかりで辛い思いをさせてしまったことが、心残りです。

やむを得ず休職。お腹の張りが心配

20代後半、妊娠25週から30週まで切迫早産と言われました。出産は妊娠36週の時です。

医師からは、外出禁止、家事は負担のかからない範囲内で許可が出ました。自宅安静でウテメリン1日3回1錠ずつの服用でした。

辛かったのは、お腹の張りと休職です。

1点目は、お腹の張りです。「このまま産まれてしまうのではないか」と不安がつのりました。外出ができないなか、ストレスばかりが溜まっていました。

2点目は、休職です。正確に言うと「長期休暇」扱いにしてもらいました。職場への迷惑がかかることが、とても辛かったです。

自覚症状がなく不安

30代後半、妊娠30週から37週まで切迫早産だと言われました。出産は妊娠39週の時です。

医師からは、必要最低限以外は自宅で安静にするようにと指示されました。ウテメリン1日3回1錠ずつを服用していました。

辛かったのは、仕事を休むこと、自覚症状がなかったことです。

1点目は仕事を休むことです。医師から仕事は禁止と言われたため、急に仕事を休むことになりました。引継ぎもできず、会社に迷惑をかけてしまいました。

2点目は、自覚症状がなかったことです。体調は良いのに、安静にしなければならないことが苦痛でした。赤ちゃんが無事かどうか常に心配でした。

2か月の長期安静

20代後半、妊娠28週から37週まで切迫早産と言われました。出産は妊娠38週の時です。

医師からは自宅安静、食事とトイレ以外は寝ておくようにと指示が出ました。薬は処方されませんでした。

辛かったのは、2か月間の絶対安静生活です。大好きなお風呂にも入れません。出産前に、夫と2人で思い出作りをする予定だったのが、全てなくなってしまってショックでした。

無理な出社

20代後半、妊娠16週から35週まで、切迫早産と言われました。出産は妊娠39週の時です。

医師には、家事可の自宅安静を言い渡されました。リトドリン1日3回1錠ずつを服用していました。

辛かったのは、食からの復帰要請です。当時勤めていた会社は小さく、人手が足りていませんでした。

そのため、何度も復帰要請がありました。結果、妊娠20週を過ぎた頃から、医師から止められたものの、無理をして半日出勤をしていました。

早産になって辛かった

20代後半、妊娠23週から31週まで、切迫早産と言われました。出産は妊娠31週の時です。

医師からは、妊娠23週から27週まで時短勤務、それ以降は自宅安静の指示が出ていました。

辛かったのは、早産となってしまったことです。小さく産んでしまって、赤ちゃんにかわいそうな思いをさせてしまったと、自分を責めました。

急な退職を迫られた

20代後半、妊娠32週から34週まで、切迫早産と言われました。出産は妊娠39週の時です。

医師からは自宅安静を言い渡されました。薬はウテメリンを処方されました。里帰り出産の予定を早め、すぐに実家に戻りました。

辛かったのは、急な退職と、周りの人の言葉です。

1点目は、急な退職です。もともと退職予定で、出勤はあと3日というところでした。最後まで働けなかったことが心残りです。荷物は、夫や職場の人に手伝ってもらって片付けました。

2点目は、周りの人の言葉です。実家で安静生活をしている時、「また横になっているの?」などと何回も言われたのです。切迫早産であることをあまり理解してもらえなかったのが、辛かったです。

実家でお世話になった

30代前半、切迫早産だったのは妊娠25週から37週までです。出産は妊娠40週の時です。

外出禁止、家事不可、トイレ以外寝るという自宅安静です。

トイレ以外は寝るしかできなかったので実家でお世話をかけることになり、家事洗濯掃除を親にやってもらうしかなく、そして、まだ1歳の上の子と一緒に遊んであげられなかったのが可哀想でした。

体重制限が辛かった

30代前半、切迫早産だったのは妊娠23週から36週までです。出産は40週です。

絶対安静で自宅で寝たきり生活でした。時々リトドリンを処方され、1日3回1錠ずつ服用していました。

辛かったのは、とにかく寝ていなくてはならなかったことです。身体は元気なのに寝ているしかないし、お風呂もお腹が張ってしまうのであまり入れなくて辛かったです。

動けないことで体重も注意されてしまい、食事制限が難しかったです。

流産経験があり怖かった

30代後半、切迫早産だったのは妊娠28週から32週までで、出産は40週の時でした。

薬は出されませんでしたが、外出禁止で家事もあまりしないで安静にといわれていました。
1人目が4才くらいで、診断されてから車で15分位の実家に1か月位一緒に戻っていました。

朝の実家から保育園への送りは旦那、帰りの保育園から実家へのお迎えは母にしてもらって乗り切りました。

1人目と2人目の間に1人流産していたので、そのことがトラウマになり臨月までは怖かったです。

夫と会えなかった

20代前半、切迫早産だったのは妊娠23週から32週までです。

外出禁止、家事禁止、基本横になって立つのはトイレや風呂など必要最低限でした。ウテメリンを1日3回1錠服用していました。

辛かったのは、外に出られないことです。家事をやれないので実家に早くから帰り、夫としばらく会えませんでした。

とにかく不安でした。外で気晴らしすることもできないし、夫ともなかなか話せず、食事制限もあるから食に走ることもできず、ストレス発散方法がなかなか無かったです。実家に頼っていることも申し訳なく、自己否定感がずっとありました。

仕方がないので寝ながら読書をしていました。

友人の結婚式を泣く泣く欠席

20代後半、切迫早産の診断をされたのは妊娠28週から37週までです。出産は39週でした。

仕事は座りながらなら可能で、どうしても必要な外出なら可能だけど買い物は付き添いが必要でした。リトドリンを1日3回1錠ずつ内服していました。

不必要な外出は禁止されていたので、35週のときにすごく仲がいい友達の結婚式への出席を予定していましたがいけませんでした。

突然の破水、義実家に頼らざるを得なかった

30代前半、切迫早産だったのは、妊娠34週から37週くらいの間です。

病院の診断では何ともなかったんですが、突然破水してしまってすぐ病院に向かいました。

自分の親のほうが安心なので、自分の親に病院に連れて行って欲しかったです。けれども、近くに住んでいたので旦那の親に連絡しました。

ゆっくりしていて30分たってのも40分たっても旦那の親が来てくれませんでした。破水して陣痛がはじまっていたので辛くてタクシーか救急車呼ぼうかと思っていたときにやっと来てくれました。

1ヶ月子供は病院の未熟児室で入院して最悪な日でした。まだ、早いうちの早産じゃないので良かったです。

おまけに、悪かったねもなく、未熟児の子が入ってるのをまるで動物を見る感じで観察していて、私が看護婦さんに注意されました。なんで私が言うの?と思いました。いつもこうです。やってないのに私が怒られて気分悪かったです。

ふさぎ込みがちに

20代後半、妊娠32週から34週まで切迫早産でした。出産は37週でした。

外出禁止で自宅安静でした。家事もやらずに寝ていました。ウテメリンを1日3回飲んでいました。

家事もせずに寝てばかりになり、つらかったです。なにもすることがなく、むしろ悪いことばかり考えていました。

出産準備をしたかった

30代前半、切迫早産は32週から37週の出産まででした。

自宅でとにかく安静、外出はせず極力横になっていてと指示がありました。ウテメリンを1日3回、1錠服用していました。

出産準備ができないことが辛かったです。また、里帰りしていて出産前に会いたいと思っていた人たちとも会えず、寂しかったです。

ただそれ以上に、子どもを無事に生んであげられるのか、不安でした。

尿意を感じるのが以上に早い

20代後半、妊娠32週から36週まで切迫早産でした。出産は妊娠41週です。

外出禁止で家事は可、ウテメリン1日3回1錠でした。胎児は32週で3,000gあったのでもし早産でも出産可は出ていました。

頭が大きく膀胱を圧迫していたので尿意を感じるのが異常に早くて1日中トイレにこもっていました。

あと腰が元々悪かったのが余計に悪くなり横になるのも辛いのでソファーに座っていました。

無理な自宅安静

30代後半、切迫早産は26週から現在進行形です。

本当は入院すべきところまできていましたが、第1子がいるため、頑張って安静にしますと約束し、自宅安静をしています。

トイレと食事以外は横になっていること、入浴NG、シャワーも何日かに1回にという指示でした。

こまめに受診し、1週間に1回お尻にホルモン注射をうっています。また自宅ではリトドリン1日4回(食後+寝る前)を服用しています。

家族をいろんな気持ちにさせたり、迷惑をかけたりしていることがすごく辛いです。

主人は職場に話し、勤務体制をかえてくれたり、やったことのない家事をしてくれたりしています。

どんどん疲れた顔になりイライラする様子も見られています。キャパオーバーなのだろうなと申し訳なく思います。

子どもも受診=入院=会えないと思っているので、気持ちが不安定になっています。

コロナウイルスの影響で入院すると全く面会が出来なくなること、今入院したら35~6週まで自宅に戻って来れないだろうとのこと、そのことを考えると、寝たきりでも母親である私が家にいて、スキンシップしたり一緒に寝たりできたほうがいいだろうと考えています。私にとってもその方がいいです。

今以上に子宮頸管長が短くなってしまったら入院は避けられないと言われているので(入院基準の長さをきっているので…)とにかく短くならないようにと願いながら安静にしています。

SNSが頼り

30代前半、切迫診断は妊娠24週から35週まで、出産は39週と6日(予定日前日)でした。
自宅安静、家事もなるべく控えるようにとの指示でした。

診断書を書いてもらい、有給休暇を全消化して早めに産休に入りました(妊娠29週~)。

週に1回通院して診察と膣錠の投薬、自宅ではリトドリン1錠ずつ、1日3回服用していました。

会社を早めに休まなければいけなくなり、周りに迷惑をかけてしまったこと。残した仕事もそのままにバタバタと引継ぎをして、申し訳なかったです。

でも何よりも辛かったのは、精神面でした。

夫や友人との外食もできなければ、天気が良い日にぷらっと散歩に行くこともできない。1日中ベッドかソファーに横になっていて、気分転換ができない。SNS等で妊婦生活を満喫している人の投稿を見ては落ち込んでいました。

ひとりでいることが本当につらかったので、同じように切迫で自宅安静をしていたり入院していたりする妊婦さんとSNSで繋がり、励まし合っていました。

また、保活も全くできなかったため、完全に乗り遅れてしまい苦労しました。

上の2人の子どもに申し訳ない

30代前半、切迫早産だったのは妊娠22週から37週までです。出産は妊娠40週3日です。

自宅安静、リトドリン1日4回を内服していました。軽度の家事は可能で、それ以外は基本的に横になっていることと指示がありました。

上に2人子供がいますが、自宅安静のために、積極的に遊んであげられなかったことが辛かったです。

1番上が年長さんで、具体的に出かけたいところをたくさん訴えきても、その希望を叶えてあげられませんでした。

下の子は2歳で、抱っこやおんぶを求めてきますが、それらもじゅうぶんにしてあげられませんでした。

子どもを預けて入院すべきだった

20代前半、妊娠22週から30週まで切迫早産でした。出産は38週の時です。

本来、入院対象であるとの診断でしたが、上の子が心配だったので、自宅安静でした。

張りが強く、ウテメリンを1日3回8時間ごとに内服していました。

上の子が心配で自宅安静を選びましたが、いつ生まれるかもしれないというのが、不安でした。子供にはこちらの事情は関係ないので、遊んでくれないという不満からお腹にぶつかってくることがありました。子供の預け先があるのなら、預けて入院をするべきでした。

辺縁前置胎盤とのダブル

30代後半、妊娠34週から帝王切開で出産する37週まで、切迫早産でした。

私は、自宅安静でした。自宅ではリトドリン1日2回服用でした。

辺縁前置胎盤とのダブルだったので、自宅で殆ど動けず、動けないことに対する申し訳なさが重なって精神的に参ってしまいました。

更に体もだんだんと重くなるのに動かせないので、足や腰が横になっていることで痛くなり何度も寝返りをうつことになって苦しかったです。

それまでの生活と一変した監禁状態

20代前半、妊娠26週から37週まで切迫早産でした。出産は38週の時です。

トイレ以外寝たきりの自宅安静でした。ウテメリンは1日3回1錠ずつ服用していました。

それまで仕事をしていて人と会っていたのがいきなり家の中に監禁状態です。精神的に辛かったです。

薬を絶えず服用、転院ギリギリ

20代後半、切迫早産は妊娠27~37週までです。出産は妊娠39週0日です。

はじめは自宅での家事可の安静でしたが、よくならず自宅での絶対安静になりました。

張り止めが切れないように服用するため、リトドリン2錠を6時間毎に服用していました。

出産以外の入院ができない産院だったので、それでもよくならなければ転院だと言われていました。

ずっと横になっていたので姿勢が辛く、本を読むのも疲れるのでできず、日中話し相手もおらず、時間の流れが遅くて辛かったです。

切迫早産で入院の体験談

次に、切迫早産で入院となった人の体験談を順にご紹介していきます。

義実家に理解を得るのが難しい

30代前半、妊娠18週から37週まで切迫早産と言われました。出産は妊娠38週の時です。

医師から出た指示は以下の通りです。妊娠18週から25週まで、外出可の自宅安静でした。妊娠26週から20日間、入院しました。

その後は再び自宅安静の日々でした。期間中を通してウテメリン服用のみで、点滴はありませんでした。

辛かったのは、上の子の世話が満足にできなかったこと、義実家の理解を得るのが難しかったことです。

1点目は、上の子の世話が満足にできなかったことです。当時2歳の上の子は、動きたい盛りで、自宅安静でも休むに休めませんでした。入院中は、寂しい思いをさせてしまいました。

2点目は、義実家の理解を得るのが難しかったことです。私の場合、同居で、家事は全て任されていました。切迫早産であること、自宅安静が必要なこと、懸命に説明しましたが、どうしても伝わりきりませんでした。

結果的に、義両親のもの含め、全ての家事をしなければならず、ストレスが溜まるばかりでした。

夫の負担が増した

30代前半、妊娠12週から切迫流産、その後は妊娠37週まで切迫早産との診断でした。出産は妊娠40週の時です。

医師からの指示は以下の通りです。まず、妊娠12週から妊娠21週まで、切迫流産で入院していました。退院後は切迫早産として、自宅で絶対安静でした。

辛かったのは、自宅安静中の夫の負担が増したことです。自宅安静中、家事の全てを夫が担っていました。

例えば、朝は家事と私の昼食を用意してから出勤、退社後は買物と夕食の準備をしてくれます。毎日仕事で忙しいのに、家事までお願いしなければならないことが、心苦しかったです。

とは言え、私には何もできません。役立たずである自分に腹が立ちました。日中テレビを見ていても、「マタニティヨガや赤ちゃんが生まれる前に旅行に!」なんて特集ばかりが目につきます。

世の中の「元気な」妊婦さんと比べることが多くなってしまい、悲しい気持ちでいっぱいでした。

赤ちゃん用品は自分の目で選べませんでした。それならばと、夫に選んでほしい気持ちもありました。

けれども、普段の生活で大きな負担をかけてしまっている分、声をかけづらかったのです。私は、夫に「わがままだ」と思われるのが怖かったのかもしれません。

結局、赤ちゃん用品は実母や義母に選んでもらいましたが、どこか寂しい気持ちが残りました。

点滴が辛い

20代後半、妊娠29週から37週まで切迫早産の診断を受けました。出産は妊娠38週の時です。

医師から受けた指示は以下の通りです。妊娠29週から1週間は、自宅安静でした。その際はウテメリンを服用していました。その後、妊娠30週から37週まで、入院をしていました。

入院中はウテメリン24時間点滴です。1Aからスタートしましたが、次第に症状が悪化したため最終的に4A28mlまで増量となりました。

加えて、マグセントも追加になったのです。最大でウテメリン4A28ml、マグセント12mlとなっていました。

辛かったのは、点滴です。具体的には、血管痛、ほてりや動悸です。

1点目は、血管痛です。特に途中から追加されたマグセントが激痛でした。入院中は常に痛みに悩まされていました。

2点目は、ほてりや動悸です。入院中は真冬でしたが、ほてりで暑く、汗だくになっていました。動悸は特に点滴の流量が増えた直後がひどかったです。頭だけインフルエンザのように熱っぽく、時には目の前がぼーとしたくらいです。

私の場合、点滴の流量が増えると、副作用が大きくなりました。

少し慣れてきた頃には薬の効き目が悪くなるようです。結果、また流量が増えます。流量が増えれば増える程、副作用が大きくなりました。

上の子が心配だった

30代後半、妊娠21週から37週まで、切迫早産でした。出産は妊娠39週の時です。

医師からは、妊娠21週に即入院を言い渡されました。1か月間の入院で24時間点滴をしました。

退院後は自宅安静で、薬を服用しました。ところが、2週間ほどで再び入院となります。また24時間点滴の日々となりました。

辛かったのは、上の子を預けることです。入院中、子どもを預けなければならなかったのが心配で寂しかったです。

動きたいけど動けない、安静にしなければならないことがストレスでした。

入院で不安に

20代前半、妊娠31週から36週まで、切迫早産でした。出産は妊娠37週の時です。

医師からは、妊娠31週の時に即入院の指示が出来ました。入院中は24時間点滴1A30mlの流量でした。

トイレ以外ベッド上安静で、シャワーは3日に1回程度でした。35週で退院となってからは、自宅安静の上、薬を服用していました。

辛かったのは、赤ちゃんの無事が不安だったことです。どうして入院しなくてはならないのか、赤ちゃんは大丈夫なのだろうか、ちゃんと育ってくれているのだろうか、など不安でたまりませんでした。

毎日病院で隠れて泣いていました。

海外での出産で大変

20代後半海外在住、妊娠20週から28週まで、切迫早産でした。出産は妊娠28週の時です。

内容は、入院を4日間、退院後自宅安静4週間、その後再入院を4週間です。入院中はマグニージアム点滴48時間2回、ステロイド注射4回、抗生物質薬の服用を1週間行っていました。

私は切迫早産体質で、子ども達3人とも切迫早産でした。ここでは、最も重症だった第2子の時のことについてお伝えしていきます。

辛かったのは、海外での出産のため家族からの長期的なサポートが期待できなかった点です。

例えば、切迫早産入院中、上の子の世話を友達や夫に頼むことになりました。夫や友達に任せきりで、子どもはもちろん、友達や夫に申し訳なくとても気に病みました。

また、自宅安静中も家事禁止だったので家にいてもなにもできず、子どもの世話もままならず辛かったです。

20週で出血、24週で破水しました。その度に子どもの生死や後遺症の確率などについて先生と話し合いました。

動けず、ベッドの上で切迫早産のこと、未熟児で生まれた子どもがどうなってしまうのかなど、毎日のように調べていました。

身体的にも辛いことがたくさんありました。例えば、マグニージアムの点滴の副作用が挙げられます。

また、胎児の肺の成長の補助や脳性麻痺の軽減のため、ステロイド注射を打ってもらっていました。その時の痛みは、今でも覚えているくらい辛かったです。

3人とも切迫早産

20代後半、切迫早産だったのは16週から37週までです。37週と1日で出産しました。

最初指示されたのは、極度の運動禁止でできるだけ安静にということでした。ウメテリン1日4回1錠ずつ飲んでいました。

20週をすぎると絶対安静でほとんどお家で寝たきりでした。23週の時に入院になり、変わらず薬を飲んでいました。30週になるとマグセントを24時間点滴していました。

1人目から3人目まで切迫早産でした。3人目で初めて入院しました。点滴はお風呂やトイレするにもずっとついてるので辛かったし、差し替えも漏れもあり辛かったです。

面会が厳しく上の子達に会えないことが1番辛かったです。

病院スタッフの言葉に落ち込む

30代後半、妊娠31週から36週まで切迫早産、出産は妊娠37週でした。

約1か月半の長期入院をしていました。24時間ウテメリンを点滴し、ベッド上安静になっていました。

入院していた病院のスタッフから厳しい言葉をかけられました。切迫早産になりそうなことを何もしていなかったのに私が何か悪いことをしたように言われたこともあり、とても辛く感じました。

ずっと切迫

30代前半、妊娠が分かったときから切迫ぎみ、38週で帝王切開でした。

初期は自宅で安静にウテメリン服用、29週に大きい病院に転院してからはすぐに入院で手術の日まで絶対安静で点滴でした。

入院中は動けないのがつらかったです。シャワーも週に2回で診察も同じ院内なのに車いすで移動でした。無事に生まれるかも不安で精神的にやられました。

点滴の差し替えが多く泣いた

20代後半、切迫早産だったのは妊娠27週から36週まです。出産は37週の時です。

リトドリン1日4回1錠をのみながらの外出禁止、家事も不可の自宅安静を1週間、その後入退院をしながら計2ヶ月の入院をしました。

入院中はリトドリン24時間点滴を1A30から45ml程度していました。

24時間の張り止めの点滴が1番辛かったです。張り止めは血管がダメージを受けやすい薬なのでルートをとってもすぐに血管が腫れたり詰まったり、液が漏れたりして長期になってくると使えない血管も多く、手首からルートを取ったりしました。

赤ちゃんのためと分かりながらもとても痛くて不便で苦痛でした。ルートが上手く取れず、挿し直しが重なった時は泣きました。

アレルギー反応が出てしまう

30代前半、切迫早産だったのは妊娠26週から38週までです。出産は妊娠38週の時です。

外出禁止、自宅安静を経て、入院し、24時間ウテメリンを点滴にて投与されておりました。

しかし、3週間後にウテメリンによるアレルギー反応が出てしまい(黄疸など肝臓の数値が悪くなり)、ウテメリンの投与ができず、NICUのある専門病院へ、入院していた病院から担当医付き添いのもと、救急車で転院しました。転院後はウテメリンが打てなかったこと、私の体調も芳しくなかったことから、ICUにて2週間を過ごしました。

切迫流産を経ての切迫早産で、安定期と呼べる時がない出産体験でした。また、切迫早産になったのが2人目の出産の時だったので、2才の上の子とほとんど会えなかったのが一番辛かったです。

ウテメリンが合わない体質であることが判明し、ウテメリンを打たなくなってからのかなりハードな安静生活(ICUで管理状態)は、人との接触も絶たれ、私の精神状態が非常に落ち込んだので、胎教にも悪いのではないか、と心配でした。

お腹の張りも気になりましたが、足腰が弱り、歩くことが苦痛になり、それが産前だけでなく、産後にもまでも及んだことは、上の子の子育てもあり、大変でした。

けれども、色んな方が助けてくださり、感謝とともに私の人生で心に残る言葉がたくさんいただけた経験でもありました。

(取材1)みんなの切迫早産体験談 yukiさんの切迫早産体験談1人目の妊娠、出産は非常に順調でしたので、てっきり2人目も同じような妊娠生活に、上の子の世話が加わ...

新婚旅行に行けなかった

10代後半、切迫早産だったのは妊娠24週から28週まででした。出産は40週の時です。

薬を服用しながら2週間入院しました。その後は2週間自宅にて安静とのこと、外出禁止でした。

予定していた新婚旅行が行けなくなったことが辛かったです。会社を長期休むことになって、色んな方に迷惑かけてしまったことも辛かったです。

何より、お腹の我が子に、申し訳なかったです。自己管理ができていなかったことを悔みました。その後恵まれた2人は順調に育っただけに、いまだに悔やみます。

点滴の差し替えが重なった

30代前半、切迫早産だったのは妊娠22週から37週まででした。

入院管理で24時間ウテメリンの点滴をしていました。最後はマグセントも追加されました。

入院管理で24時間点滴なので自由はきかないし、点滴の差し替えがうまくいかず何度も刺され辛いことばかりでした。

孤独

30代後半、妊娠27週から34週まで切迫早産でした。

安静入院を27週から34週までしていました。ウテメリンは1日3回1錠ずつ服用していました。トイレと食事以外はベッド上安静です。シャワーは週に一度のみ許されていました。

ベッド上の安静状態だったので、トイレ以外にどこもいけなかったことが精神的に苦痛でした。また、家族に会えないことで孤独感も募らせていました。

自分を責めた

20代後半、切迫早産だったのは、妊娠34週から37週までです。37週で出産しました。

出産まで入院でした。なるべくベッドに横になってあまり立ち歩かず、貧血の薬と出血があったため抗生剤を処方されていました。

妊娠中に無理しすぎて切迫早産になってしまったのか、何がいけなかったのか、お腹の赤ちゃんに苦しい思いをさせてしまっていると、入院中は時間がたくさんあるのでずっと自分を責めて泣いていました。

漫画や本をたくさん差し入れてもらっても何も頭に入ってきませんでした。

夫が面会に来てくれていましたが、面会終了の時間になると心細くなって泣いてしまう日々でした。

シャワーをほとんど浴びられなかった

20代後半、切迫早産だったのは妊娠27週から出産した36週までです。

27週から36週入った日まで24時間のリトドリン点滴で入院生活でした。

張り止めの点滴の副作用で動悸と手の震えが酷かったです。

絶対安静だったのでシャワーを浴びれるのも先生の許可がないと入れませんでした。2ヶ月間の入院で3回ほどだけだったと思います。

逆子でひやひや

30代前半、切迫早産は妊娠33週から37週までです。出産は39週の時です。

妊娠33週の検診で即入院でした。3週間入院24時間点滴でした。

夜中でもお腹の張りがあったため全然寝れなくて、しまいには、今まで正常位置だったのが逆子になっていて、逆子が治らなかったら帝王切開になるって言われた時は泣きそうになりました。でも最後は正常位置に戻ってくれました。

トイレも行けずショック

30代後半、切迫早産と診断されたのは妊娠26週、出産は36週でした。

26週で緊急入院となりました。絶対安静でトイレもベッドの上でした。ごはんは寝たまま食べました。点滴は24時間ウテメリンでした。これ以上いけないギリギリの量まで入れていました。出産ギリギリまで入院となりました。

普通の生活を送っていて、急に動いてはいけなくなったことや、まだ26週で産まれてしまったらどうしようという不安でとてもしんどかったです。

まさかトイレまでベッド上ですることになると思わなかったので、かなりショックでした。

赤ちゃんに申し訳ない

20代前半、切迫早産と言われたのは、妊娠32週です。出産は33週と6日の時です。

朝起きたら突然の破水でした。何が起きたかわからずかかりつけの病院に行ったらここでは早すぎるからと市民病院に救急車で運ばれそのまま入院しました。

点滴生活が続き、羊水が少し少なくなってきたということで促進剤を投与し、1週間後に出産になってしまいました。

突然の入院、まだお腹にいなければならない子供を早くに出産してしまって低出生体重児の未熟児として産んでしまいました。

そして、1ヶ月間子供はNICUに入院しました。悲しい思いをさせてしまったことが1番辛かったです。

やることがない

20代前半、切迫早産だったのは妊娠26週から36週です。出産は37週です。

2ヶ月弱入院しました。食事、トイレ以外は横になってないと行けませんでした。シャワーは1週間に1度でした。

点滴は24時間リトドリン2A50mlからスタートしました。

ずっと寝てないといけず、やることがなかったため夜もぐっすり眠れないことが1番辛かったです。

スマホもみすぎると変に疲れるし、本も飽きるし、テレビも飽きるし楽しくなかったです。

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まとめ

切迫早産中は、誰しも切迫早産についてインターネットで検索してしまいます。自分と似たような境遇の体験談を見つけると、不思議と、落ち着いたり元気が出たりするものです。

当ブログでは、継続的に体験談をご紹介予定です。もしこの記事を読んで何か感じたことがあれば、どんな些細なことでも構いません。是非、画面上部の「お問い合わせ」ボタンより、メッセージをお送りいただければ幸いです。体験談についても随時募集しているので、お気軽にお問い合わせください。