切迫早産

(取材2)みんなの切迫早産体験談

かえる
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こちらは、当ブログ管理人amafrog以外の人の切迫早産体験談をお伺いする企画、第2弾です。
海を知るまんぼう
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今回のゲストである「ゆかりさん」は、お子様2人の妊娠出産とも、切迫早産でした。また、色々なトラブルにも見舞われています。
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よろしければ、下記の初回記事もご覧ください。それではゆかりさん、よろしくお願いいたします。
(取材1)みんなの切迫早産体験談 yukiさんの切迫早産体験談1人目の妊娠、出産は非常に順調でしたので、てっきり2人目も同じような妊娠生活に、上の子の世話が加わ...

ゆかりさんの切迫早産と出産の体験談

妊娠、出産は世の中の多くの女性が当たり前のように経験していることであり、この経験談を書いている今も世界のどこかで新しい命が誕生していることだと思います。

だから私もきっと問題なく元気な赤ちゃんを産めるだろう、そう思っていました。もちろん身近な知り合いの何人かは、切迫早産で長期入院を経験したとか、難産で大変だったとか、そういう人もいました。

それらを聞いても私は、「妊娠出産時にトラブルが起こるのは全体のごく一部」、「自分はそうはならないだろう」と、何の根拠もなしに信じていました。

そんな私でしたが、実際に2人の娘を年子で妊娠出産した時にはトラブルの連続でした。

自分が経験したことを通して、何もトラブルなく妊娠期間を過ごし、無事に出産するというのは、本当に運が良くて幸せなことなのだと、強く感じました。

1人目の妊娠、出産経験談

まずは、1人目の妊娠から出産までの出来事を、書いていきます。

妊娠発覚から切迫早産と診断されるまで

私は結婚前から婦人病(子宮筋腫と卵巣嚢腫)を患っていたので、結婚式と新婚旅行が終わるとすぐに妊活を開始しました。

1人目は、幸いなことに妊活を始めてすぐに授かることができました。基礎体温をしっかりと計っていましたし、気になりすぎてフライングで妊娠検査薬を使用したので、かなり早い段階で妊娠に気づきました。

妊娠5週目に産婦人科を受診し、無事に胎嚢、心拍確認ができました。

つわりはありましたがちょっと気持ちが悪いだけで寝込むことも吐くこともなく、気づいたら終わっていました。そして、そのまま何もトラブルなく安定期を迎えることができました。

ところが、妊娠25週目に入ったあたりから急に、夜、布団に入って横になるとお腹の表面がキュウーっとなるような痛みを感じるようになりました。その当時は初めての妊娠で「お腹の張りって何?」という状態だったのですが、今思うと確実にお腹が張っていました。

そしてお腹の張りの頻度はだんだんと増えていき、妊娠26週に入った頃には日中職場にいる間も痛みのある張りを感じるようになりました。いよいよ不安になった私は、ある日、仕事を早退させてもらい産婦人科を受診することにしました。

産婦人科で内診を受けた結果、子宮口はしっかりと閉じているし、子宮頚官長も4cm程度あるので、大丈夫とのことでした。

しかし、その後NSTをとってみると8分間隔くらいでお腹の張りがありました。確か、この時のNSTの数値は40~60くらいだったと思います。

医師に「お腹の張りが頻繁に起こっているので切迫早産になっています。仕事で無理をしたのでしょう。2、3日休職して、張り止めを内服しながら自宅安静で様子を見てください。」と言われました。

思いもよらない切迫早産の診断に、私は目の前が暗くなったように感じました。

当時私は銀行に準職員として勤務しており、窓口で接客をしながら事務をしていました。仕事柄立ったり座ったりという動作はありましたが、同僚達のおかげで、立ちっぱなしということや重いものを持つということは、ありませんでした。

そのうえ疲れたら自由に休憩もさせて貰えていたので、「無理をした」という感覚は全くなかったのです。

病院では結局、張り止めのリトドリン錠剤を1日4錠処方されました。そして3日間自宅安静し、4日目に再度受診することが決まりました。その時に張りが治まっていなければ、入院する必要があるとのことです。

まさか自宅安静になるとは思っていませんでした。病院には、「とりあえず受診してみる」という軽い気持ちでしか来ていません。早退をしてきた会社では、仕事の引継ぎどころか、ろくにデスクの片付けもしていない状況でした。

良くしてくれていた同僚達に多大な迷惑をかけてしまう結果になり、会社に連絡することがとても憂鬱でした。

自宅安静から入院へ

自宅安静指示が出たその日から、リトドリン錠剤を1日4錠(毎食後と就寝前)服用し、トイレと入浴以外はずっと布団の上で過ごす生活を、3日間続けました。

しかし、感覚として張りが治まる様子はほとんどありませんでした。「もしかしたら入院になってしまうかもしれない」と焦りながら再度受診をした4日目、やはり張りの数値は変わりありません。当然ながら、即日入院になってしまいました。

その時1番に頭をよぎったことが、「仕事どうしよう」でした。即日入院なのでもちろん職場に行くことはできません。しかも切迫早産の入院は長期にわたることが珍しくなく、短くても2週間は入院する必要があるだろうと言われたのです。

きちんと引継ぎをして会社を出てこなかったことを今更嘆いても、どうすることもできません。

結局、ベッドの上で電話を使って口頭での引継ぎになりました。この時ばかりは正社員ほど仕事を抱えていない準職員の身でよかったと思いました。

約2か月に渡る入院生活

入院初日はまず1A30mlのリトドリン点滴をしました。すると今まで常にあったお腹の痛みがすっと落ち着き、錠剤とは違った点滴の即効性にとても驚きました。

それからは24時間点滴生活です。トイレ以外ベッドから離れられず、毎日NSTと胎児心音ドップラーを受ける生活が続きました。

点滴をしてお腹の張りが完全に治まったわけではありません。毎回数値30~40くらいの張りが、30分間に2、3回あったと思います。NSTの数値が悪い時には点滴が1A45mlまで増えたこともありました。

そうして2週間が経った妊娠29週のころ、数値が安定していたこともあり、里帰り出産による転院のため入院していた産婦人科の個人病院を一旦退院しました。その後2週間程度は自宅安静していましたが、妊娠31週の時に、里帰り先の個人病院でもまた入院になりました。

ですがその病院とはうまくそりが合わず、ストレスでお腹の張りが増えてしまいました。その時受けていたウテメリン点滴もどんどん投与量が増えていく状況になってしまい、心身ともに耐えられなくなってきてしまったのです。

私は、救急で実家近くの総合病院へ転院することになりました。救急車での転院だったので「こんな重篤でない理由でわざわざ救急車を使ってまで転院して、自分ほんと何やってるんだ」と思いました。

しかしながら、転院先の総合病院ではストレスなく過ごし、ウテメリン点滴も1A40mlで常に落ち着いていられたので、結果的によかったのかなと思っています。

ストレスも早産の要因ですので不安な病院でストレスを貯めながら過ごすよりも、思い切って転院し、自分が安定して過ごせる環境を整えることも、妊娠時に自分がお腹の赤ちゃんのためにできることの1つなのだと今では思っています。

入院生活は続き、結局36週に入った日に点滴を止め、その翌日に退院することになりました。

点滴を抜いたその日は昼から母親教室が院内で開催され、私も参加することになっていました。点滴を午前10時に抜いて、張り返しがきたのは午後2時、母親教室に参加している最中でした。

大事をとって車いすで移動し、車いすに座ったまま講義を聞いていましたが講義が始まって間もないころから、キュウーっとしたいつもよりも強いお腹の痛みが続きました。いつSOSを出そうかと思って正直、講義どころではありませんでした。

講義後、分娩室の見学などがありましたが、もちろん参加せずにすぐに病棟のベッドに戻ってNSTをしました。その時の数値は70~80と、今までにないくらい高く出ました。

内診の結果、子宮口は1cm開いている程度で、この時期としては普通とのことです。子宮頚管長も変わりなしでした。そのため、このまましばらく様子を見て、そのまま本陣痛につながってしまったら分娩しようということになりました。私はNSTの装置をつけたまま、3時間横になることとなります。

この時、赤ちゃんの推定体重は2,700g程度ありました。早産の時期ではあるが、正期産で生まれた赤ちゃんともうほとんど変わらないくらい体が出来上がっているので、もし出産になってしまっても問題ないとのことでした。

3時間経って、結局、本陣痛には繋がらなさそうという判断でした。ウテメリン錠剤を1錠内服し、その約2時間後には、張りが治まりました。

そして翌日の朝、予定通り退院しました。

いよいよ出産

妊娠37週に入った妊婦検診の日、NSTをすると4分毎に数値80程度の陣痛がきていました。子宮口も十分に開いてきているので、「近々お産が始まるかもね」と言われました。その日血圧は151/87まで上がっていて、要注意となりました。

そしてその翌日、出血を伴うおしるしがありました。翌々日は日曜日でしたが、昼頃から体がだるく、血圧を測ったところ160/100ありました。

これはいけないと思い、休日でしたが緊急受診し、そのまま入院、妊娠高血圧症候群のため翌日促進剤を使って出産することが決まりました。

そして翌日の14時ごろ、そろそろ処置をしようというタイミングで自然破水し、破水の2時間後には本陣痛が始まりました。

血圧は高かったですが帝王切開はせずに、普通分娩で出産することになりました。ただし、いつでも帝王切開に切り替えられるように分娩室ではなくオペ室で行うことになります。狭いオペ台の上で、右腕にはルート確保のための点滴、左腕には血圧計をつけての分娩です。

切迫早産だったためか幸いお産はスムーズに進み、本陣痛開始から6時間程度で子宮口が全開になりました。

しかしそこから微弱陣痛になってしまい、なかなかお産が進まず促進剤を投与されました。促進剤投与を初めて1時間後、やっと待望の我が子が生まれました。

娘は37週と3日で生まれましたが、体重は3,000g以上ありました。分娩中の血圧は185/107まで上がりましたが、産後2か月経った頃には110/70くらいまで落ち着きました。

2人目の妊娠、出産体験談

続いて、2人目の妊娠から出産までの体験を、書いていきます。

妊娠発覚からまたしても切迫早産と診断されるまで

2人目は1人目が生後6か月のころに妊娠が発覚しました。産後の生理は2回しか来ていませんでしたので、早い第2子妊娠発覚にとても驚きました。

「1人目の妊娠時に切迫早産になった人は、2人目以降も切迫早産になりやすい傾向がある」と、産婦人科で聞いたので、そうならないように今回の妊娠ではかなり慎重に過ごしました。

1人目の育休が終わる3か月前くらいに職場復帰の話が出ましたが、ここで無理をして職場復帰してまた職場に迷惑をかけたり、赤ちゃんを危険にさらすことになったりしたら後悔すると思ったので、このタイミングで仕事は退職することにしました。

まだまだ赤ちゃんの長女をお世話しながら安静に過ごすのは大変でした。例えば、抱っこは座ったままのお膝抱っこにする、極力重たいものは持たない、安定期に入っても横になれるときは極力横になる、などして過ごしました。

そのかいあってか妊娠30週までは何事もなく過ごせました。しかし31週の時、妊婦検診でNSTをしたところ数値40~50ほどのお腹の張りが頻繁にあり、またしても自宅安静指示が出てしまいました。

その時かかっていたのは個人の産婦人科で、医師には「小さいこどもを世話しながら安静に過ごすのは難しいだろうから、できるなら入院してほしい」と言われました。

1歳になったばかりの娘を置いて入院なんて到底できないと思ったこと、この個人病院にかかっている限りいずれは近いうちに入院になるだろうと思ったことから、近くの総合病院に転院することを決意しました。

転院してからは、リトドリン錠1日4回の服用で何とか自宅安静で正期産の時期に入ることができました。

いよいよ2人目出産

妊娠38週に入ったとき、またしても血圧が150/90まで上がってきました。前回の出産で妊娠高血圧症候群になった経歴があるので、今回はそこまで血圧が上がってしまわない今のうちに誘発、促進分娩をすることになりました。

38週と2日で入院したその日の夜に子宮口を開かせる処置をし、翌日の明け方4時頃から陣痛が始まりました。そして13時には無事に次女が誕生しました。

歓んだのもつかの間、本当に大変だったのはその後でした。子供が生まれると排出されるべき胎盤がなかなか出てこなかったのです。妊娠出産の合併症である「付着胎盤」になってしまっていたのです。

胎盤は、医師の手と器具を使って無理やり掻き出すことになりました。「胎盤用手剥離」というものですね。

この処置が子どもを出産する数倍は痛くて、叫びながら分娩台の上で暴れ回りました。助産師さん数人に押さえつけられていた私の腕や足に、彼女たちの指型のアザがたくさんくっきりと残っていた程です。

無事に胎盤摘出、止血、全ての処置が終わって病室に戻った時には日付を超えていました。娘は無事に出産できましたが、忘れることのできない壮絶な出産体験となりました。

井の中のblog(ブログ)切迫早産記事まとめ当ブログ「井の中のblog」では、切迫早産の妊婦さん向けに情報発信をしています。目指すは、雑誌のような読み心地です。 このページで...

まとめ

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ゆかりさん、ありがとうございました。

本記事の感想などを、お気軽にコメントいただければ幸いです。

当ブログでは引き続き、妊娠出産に係る心配や不安に寄り添えるような読み物を配信していきます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。